僕とマジック:ザ・ギャザリング
世界的トレーディングカードゲーム (以下TCG)であるマジックを趣味にし始めてから、気がつけばもう20年以上も経っている。すっかり立派なおじさんになってしまったが、それでいて未だこの界隈にかろうじてしがみつき、クソサイトを運営したりYouTubeまではじめている始末。これほどまでに長くプレイし続けていても、全くやることが尽きない。
それどころか歳を取るにつれてやりたいことが増えていくのだから、この「マジック」という代物は本当にとんでもないコンテンツだなと思う。
これだけ長く続けているマジック。
途中離れていた時期はあったものの、総プレイ年数だけは長いので、よく「いつ頃のマジックが一番良かったか?」という質問を受ける。
…うーん、正直なところとても難しい質問だ。
狂ったように競技マジックに打ち込んでいたのは2015年辺りだし、今となっては僕の代名詞となっている鳥クリーチャーを集め出したのは2013年から。色々な小テーマを見出しては気になったものをコレクションしている「今」だって、最高に楽しい。
確かに、社会人となりカード資金を自分で稼げるようになってからは、デッキパワーも上がったし、コレクションだって爆発的に増えてきた。現に今自分が所持している「コレクション」と言えるカードの大半は、社会に出てから買い揃えたものばかりだ。
しかしながら、僕のマジック人生で一番輝いていたのは、間違いなく小学生のときだと断言できる。特に小学5年から6年にかけての2年間は、本当に、一切の誇張なしに眩く輝いていた。
今回、実家から我が人生の恥部ともいえる「マジック日記」が発掘されたことをきっかけに、当時の記憶のいくつかが蘇った。誰がなんと言おうと、僕のマジックライフの「最高到達点」。恥ずかしながら、ここに書き連ねてみようと思う。
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第1回:ホームランドとフォールン・エンパイア
時を遡ること1998年。
僕は小学5年生となり、いわゆる高学年の上級生の仲間入りを果たした。上級生となれば校内での権力は凄まじく、休み時間における校庭の独占権を得たも同然であったし、学校中で大流行したドラクエのバトルえんぴつは、賭けバトルの元締めを高学年の生徒が担っていた。
そんな上級生になった僕だが、スクールカーストとしては変わらず下層のままだった。学年で最も女子人気が高かったヨシユキは分数の計算ができなかったが、サッカー部のエースだったためとにかくモテた。2番人気のテツヤは、学期序盤にして主要な教科書の大半を紛失する大うつけであったが、ドッジボールで呂布並の活躍をするのでこれまたモテた。
肝心の僕らはというと、休み時間になれば教室の隅に集まり、マジックの話に花を咲かせるような見事なまでの陰キャだった。進研ゼミ:赤ペン先生のバフのお陰で成績だけは良かったが、小学5年生という時期において、ガリ勉がモテる要素は(当然ながら)微塵もない。運動神経がモテ要素の全てと言っても良い小学生ライフ。スポーツテストにおいて、「女子以下の握力」を叩き出してしまった僕につけられたあだ名は無情にも「ザコパワー」であった。
卒業アルバムの裏表紙にミクちゃんから書き込まれた、「中学に行ったら筋トレしてね」のメッセージを見ると、今でも視界が滲む。
スクールカースト上、決して高い位置にいるとは言えなかったが、それでよかった。
類は友を呼ぶとは良く言ったもので、僕の周りにはマジックで繋がる友人が5名ほどいたし、それで十分満たされていたと思う。
俗に言う陰キャグループではあったのだが、僕たちのリーダーであるノリ君は相当にイカレている危険人物だったので、幸いにも他の同級生からいじめられたりすることなく過ごせていた。ノリ君は僕たちには優しかったが、外部に対しては沸点が低い…というか、常温で沸騰しているメチルエチルエーテルようなものだったので、この狂気さに守護(まも)られていたと言ってもいい。ノリ君のポッケには、いつも金属製のメリケンサックが入っていた。
このグループを繋いでいたのは紛れもなくマジック。当時子供たちの遊びとしては完全なる異端で、捜索範囲を全校生徒まで広げたとしても、マジックをプレイしているのは僕たちのグループしか存在しなかった。
なにせ場所は福島県の片田舎、そもそもマジックを取り扱っている店舗が皆無だったのである。ポケモンカードなんかとは販路の規模が違う。
じゃあ僕たち6人がどこでマジックを仕入れていたのかというと、学区外の寂れたローカルショッピング施設である。その中にひとつのテナントが入っていて、手品グッズやら占いグッズやら、明らかに怪しいグッズを取り扱うショップが存在した。そのショップはTRPG製品やマジックも売っていて、そこが唯一、僕らが自転車で行ける範囲でマジックを買うことのできる場所だった。調べれば他にも取り扱い店舗はあったのかもしれないが、当時インターネットなどほとんど普及していなかった時代。少なくとも子供たちの情報網ではこの一店舗のみしかヒットしていなかったのである。
ここだけの話だが、お店の一角には「18歳未満お断り」な商品を取り扱っているエリアもあり、無駄に店内を往復してチラ見を繰り返していたことも懐かしい。
当時マジックのパックは定価500円だったので、小学生の小遣いからすると非常に高価なものだった。僕の当時の小遣いは悪行を繰り返したせいでヘル=マザー(=母親)によって減りに減らされ、月500円だったので、1ヶ月に買えるパックは僅か1パック。消費税を考えると僅かに赤字となり、そう簡単に買えるものではなかった。小学生のバイブルとも言えるコロコロやボンボンを買ってしまうとパックが買えなくなってしまうため、小遣いの使い道は毎月本当に悩んでいた。
小遣いを減らされた原因は、弁当箱を決まった時間に出さなかったとか、3連続でズボンのポッケにティッシュを入れたまま洗濯機に放り込んだとか、きっかけはそんなものだったと思う。しかしながら、ヘル=マザーが大切にしていたロイヤルコペンハーゲンの皿を割ってしまったことをきっかけに、ヘル=マザーの内なる力が目覚めてしまった。無詠唱の上級魔法により、僕の小遣いは瞬時に闇へと消えた。
到底この額では足りないので、たまに会う祖父/祖母から貰う小遣いや、お年玉をなるべく使わずプールしておき、都度切り崩すことでカード代を捻出。
今思えば子供の頃にあまり我慢を強いられると、社会人になってからの反動が爆発してしまうように思う。厳しい教育は大いに結構だが、子供がいる方はほどほどにしておく事をお勧めする。さもないと、僕のような取り返しのつかないダメ人間が誕生してしまいかねない。大人になってからカードダスやガシャポンの筐体本体を買い漁り、クローゼットでおもちゃ屋さんごっこをするような大人になってはならないのである(戒め
ペナルティにより仲間内で僕は最も小遣いが少なかったが、大半の友人も小遣いは1000~1500円程度。
僕よりも遥かに多いとはいえ、数パック購入すれば瞬時に吹っ飛ぶ額だ。僕たちがこの問題を切り分けるために編み出した手法は、「色の担当制」である。これは、自分の色をあらかじめ決めておき、せーので同じ数のパックを一斉に開封。自分の担当外の色のカードが出たら、その色を担当する友人に渡すというものだ。もちろん、友人からは自分が担当する色のカードを受け取ることができる。
システムの都合上、特定の色のカードしか使えなくなるというデメリットはあるのだが、メンバー間で生じる「小遣い格差」をある程度埋めつつ、限られた予算内で効率的にデッキを組んでいくにはこの方法しかなかった。誰が言い出したシステムかなのかはもう覚えていないのだが、コモンやアンコモンを複数枚積みやすくなるため、デッキとしての安定度h上がる。少ない予算で「やりたいことがやれるデッキ」が組めるので、僕としては非常に助かっていた。
なお、別の色のカードを使いたい時は、一斉開封のタイミング以外で個別にパックを購入する必要がある。各自誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントといった季節イベントをうまく使うことにより、ブーストをかけていた。
当然一斉にパックを購入しても、カードの色はばらついてしまう。自分の取り分が少なくがっかりする時もあれば、レアカードが複数枚手元に来て小躍りすることもあった。そんなギャンブル要素が、子供ながらにとても楽しかったのだ。ちなみに僕の担当はメインは緑で、サブは赤。未だにステロイド系のデッキやジャンドが好きなのは、このときの名残りである。
この時期、仲間内でどんなパックを買っていたかというと…
購入記録が日記に残っていたので追ってみると、なんと『ホームランド』と『フォールン・エンパイア』だ!
当時の店頭価格もしっかり掲載されていたのだが、1パックあたり『ホームランド』が180円、『フォールン・エンパイア』が150円と記録されている。オールドセットに詳しいプレイヤーであればおわかりだろうが、この2つのセットはカードパワーが軒並み低く、「クソセット」と悪名高い。(ストーリーは良いぞ!)
もしタイムマシンがあったなら、過去の自分を全力でブン殴ってでも止めに行くレベルである。
中には(今でこそ)再録禁止カードの高騰によって高額になったカードもあるのだが、それはごく最近の話。
当時でもこの2つのエキスパンションは投げ売りされていて、僕らが通う店も例外ではなかった。インターネットで気軽にカード価格を調べたり、どんなカードが収録されているのかも子供たちのネットワークでは調べられなかったため、僕たちは1パック100円台というロープライスに惹かれ、これらのパックを買い漁った。
今思えば正真正銘の「安物買いの銭失い」に他ならないのだが、「とにかくパックを開けてカード枚数を揃えたい」「なんかよくわからないけど英語のカードは格好いい」という2つの理由から、『ホームランド』と『フォールン・エンパイア』は僕たちのチームにおける一般的なエキスパンションとなった。当時のスタンダードはテンペスト・ブロックが使えたが、それらのカードとは異なる独特の紙の質感(光沢があまりない)も面白い。そして、英語版しか存在しないエキスパンションというのが、小学生の心にとにかく「刺さった」。
しかしながら、僕たちは英語が全く読めないという危機に直面する。
『ホームランド』と『フォールン・エンパイア』のカードが順調に集まってきたものの、なんとなく雰囲気で使っているだけで、正式なテキストがわからないのである。なにせ僕らはバカであったし、頼みの綱の進研ゼミは英語をカバーしてはくれなかった。大事なことは誰も教えちゃくれない。
どうしてもカードを使いたい気持ちが強まったため、仕方がないのでここは「大人」を頼ることに。
各々が使いたい『ホームランド』と『フォールン・エンパイア』のカードを持ち寄り、放課後に担任のアベ先生に翻訳をお願いをしたところ、「学校に関係ないモノを持ち込んだ」という罪でこれらのカードは全て没収され、卒業式の日まで戻ってくることは無かった。
そんなわけで仲間内で英語のカードを買うのはしばらく禁止にするというルールができたのだが…。
いまでもこの2つのエキスパンションのカードを見る度に、あの時の歯がゆい気持ちを思い出す。